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文学

11月29日、尾崎豊のバースデイだ。
今日は、東京は曇り。
尾崎のバースデイと命日は、なぜか今日のような泣き出しそうな空模様になることが多いように思う。

尾崎豊が亡くなった92年4月からもう、20年も経とうとしているのに、
「尾崎の荒ぶる魂は、いまだ天国にたどりついてなかったのか。」
蒸し返された『遺書騒動』の件といい、今日の天気といい、
そういう感想を持たれる方も多いのではないだろうか。

バースデイに亡くなった日のことを書くのは気がひけるが、
もう少し話を続けよう。 Continue reading

付記 3月20日  全公演中止となりました。

 

僕のお友達の会社のプロデュースで「あるジーサンに線香を」という舞台が4月にあります。

原作は大ベストセラー作家の東野圭吾
「アルジャーノンに線香を」ではありません。
でもこれは確かに、世界SF小説史上不滅の金字塔
「アルジャーノンに花束を」のパロディ&オマージュ。
東野圭吾の短編中屈指の傑作で、
「アルジャーノンに花束を」への限りないリスペクトを感じさせる、
大笑いできるけど実にせつないお話です。 Continue reading

成海璃子の選ぶレコード・コレクターズ増刊
日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100(1960-1989)
私のベスト10
があまりにもオッサン臭いというので、話題になってる。 Continue reading

白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり

10月も中頃になってようやく秋めいてきた。

秋深くなってきたら、日本全国の飲み助たちがこの歌を口ずさんで、
うんちくを傾けながら一杯やる。
そういう、うんちくオヤジが全国にウン万といる。
たぶん、古今東西日本の「酒」に関する短歌の中で、もっとも愛されてきた歌の一つだろう。 Continue reading

BUMP OF CHICKEN『宇宙飛行士への手紙/モーターサイクル』シングルが
オリコンデイリーチャート3日連続一位だ。
BUMP OF CHICKENは去年末ぐらいから、
ハイペースでシングルをリリースし続けているが、
そのすべての作品がハイクオリティで、今回のシングルも実に素晴らしい。
日本で、音楽に関わってメシを食っている人々全員が、
これらの作品に襟を正して向かい合わなければならない。 Continue reading
さっき児童文学に詳しい友人と電話で話していたら、
「今の日本の児童文学会は日教組系左翼が牛耳っていて、
宮沢賢治や佐藤さとるに対してはちょっと不当な評価になってる。」みたいなことを言っていた。

本当かどうかは知らないが、気になったのでちょっと調べてみた。
これはメモなので、興味の無い方は読み飛ばしてください。

1.現在、日本の大きな児童文学系団体は2団体

◎最大の組織「日本児童文学者協会」は左翼系1946年~
1952年5月17日児童憲章記念日に日教組児童文学者協会・婦民クラブ等10団体が中心で
「日本子どもを守る会」を結成するなど、
綱領の「民主主義的な児童文学を創造し普及する」に示されているように児童文学運動団体としての性格を持っている。 Continue reading

「だれも知らない小さな国」から始まる、佐藤さとるの「コロボックル物語シリーズ」が、
国民的文学作品として認知されていないことに、納得がいかない。
このシリーズは、日本初の長編ファンタジー文学にして、
日本のファンタジー文学史上3本の指に入る最高傑作のひとつでしょう。 Continue reading

「海底(うなぞこ)に 眼のなき魚の棲むといふ 眼の無き魚の恋しかりけり」

6月19日のエントリー「いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む」
という求愛の歌を人妻園田小枝子に送った牧水は、
小枝子に翻弄され、ついには5年に及ぶ恋に破れ、ボロ雑巾のようになって傷心と酒浸りの日々を送る。

その傷心の最中に詠んだのが歌集『路上』巻頭の
「海底に~」の歌だ。

「深い海の底は暗闇の世界で、目の見えない深海魚が住んでいるという。
目がない深海魚が恋しい。」 Continue reading

オバマ政権が平和記念式典にルース駐日大使を派遣したことを
「エノラゲイ」機長の息子が不快だと言ったことについて、
まだまだ怒りが収まらない今朝の気分なのだけれども・・・・
(注1)

6日に書いた「死んだ女の子」について
いろいろなバージョンがあることで、
混同されている方があまりにも多いようなので、まとめておきたい。


オリジナルはナームズ・ヒクメットというトルコ文学を代表する世界的詩人の詩
原題小さな女の子
1955年。
この名作「詩」は各国語に翻訳され、数々の曲がつけられた。

ナームズ・ヒクメットについて

トルコ語バージョン Continue reading

同窓会のサイトを作るために、何十年かぶりで母校の大先輩・牧水の歌と向き合ったのだが、

その本当の凄みというものを、僕は今までこの歳になるまで知らずにいたようだ

まことにお恥ずかしい限りです。

いざ行かむ

「いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む このさびしさに 君は耐ふるや」

根本海岸への逃避行の後に、人妻園田小枝子に宛てた手紙に書かれた恋歌である。


いくつかの解釈がなされているようだが、

この歌を素直に読むと、

「さあ行こう。行ってまだ見たことのない山を見よう。この寂しさにあなたは耐えられるだろうか。」

となる。

現代語の訳だと、いまいち前半の「いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む」

の畳み込むような迫力が伝わらない。

この部分の「いざ」という語には、勇壮な響きがあり、

「行かむ」「見む」という強い意志を表す語と相まって、

まるで「出陣の時」や「大冒険に出発する時」のような強い語調だ。


ところが、これに続けて牧水「このさびしさに」と歌う。

勇壮な前半に対する「さびしさ」という語の対比は実にみごとだ。

なんと鮮やかな起承転結の「転」なのだろう。

牧水は前半の「さあ行こう。行ってまだ見たことのない山を見よう。」

という行為を「さびしい」ことだと言っているのだ。


この「さびしさ」は、近代短歌史上もっとも有名な歌のひとつである、同じ牧水

「幾山河 越えさり行かば寂しさの 終はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」「寂しさ」と同義だろう。

旅をせずにはいられないのだが、その寂しさは終わることが無い。

「旅」とは「旅」そのものでもあるけれど、「人生」でもある。


牧水は小枝子に贈ったこの歌に、

「一緒に旅をしよう。旅は寂しいものだけど、あなたはその寂しさに耐えることができるかい。」

つまり

「一緒に生きよう。僕とともに生きる未知の人生は寂しいものだが、あなたは耐えられるだろうか?」

という思いを込めているのだ。



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