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はてなブックマーク - 名編集長・内田勝と初代若乃花の想い出
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書くかどうか、すごく迷ったが、
初代若乃花・花田勝治さんが昨日亡くなったということで、
もう二度と、書く機会も思い出すこともないかもしれない話だし、備忘録として書いておく。

今から27~25年前に、六本木外苑東通り沿い
場所でいうと瀬里奈ビルに徒歩30秒ぐらいの小さなビル
地下一階に韓国クラブがあって、僕はここでギターの弾き語りをやっていた。
このビルの一階には中華屋さん、上の階にはジャズクラブがあり
戦後を代表するジャズ歌手の笈田敏夫さんがよくお出になっていて、
ビルの入り口で何度もお見かけした。

この韓国クラブは、ゲゲゲの女房「豊川悟」のモデルとなった、
講談社の伝説的名編集長内田勝さんがスポンサーで、愛人の韓国女性が経営していたお店だった。
当時、講談社で内田派だった社員の方々は、
このお店のことをよく覚えていると思う。
内田さんが創刊編集長をされた「Hot-Dog PRESS」「POPEYE」といっしょに、男性ファッションを牽引していた頃で、
当時の人気ファッションコラムを書いていた服飾評論家の出石尚三さんなどが、内田さんといらっしゃっていた。
内田さんは確かもう講談社の常務をされていて、「いつか社長になるかもしれない」という話も、この頃はあったようだ。

内田さんは、言うまでもなく「少年マガジン」を国民的雑誌にし、
現在世界的コンテンツになった、日本漫画文化の地位を押し上げた立役者の一人だ。
「早乙女愛-愛と誠」というエントリーで、梶原一騎のことを書いたが、
梶原一騎原作・内田勝編集長というタッグは超強力で、ヒットを飛ばしまくった。
上の切手シートには、二人のタッグによって生み出された傑作が5作も載っている。

映画「望郷」のジャン・ギャバン-ペペルモコ

内田さんは、お店では実に物静かで優しい方で、
出版業界や漫画界の方達が書いている情熱的で雄弁な姿には、僕は接したことがない。
一度だけ、おしゃれな帽子をかぶっていらしゃったことがあって、
その姿が「望郷」ジャン・ギャバンみたいで、
「パパはジャン・ギャバンそっくりよねえ」って女の子たちが盛り上がったのを覚えている。

お店の開店1周年記念の時には、
隣のビルにあったJunショップで、キラキラの真っ白なサテンのタキシードをプレゼントしていただいて、
僕はそれからそのタキシードを、仕事で何度も何度も使わせていただいたっけなあ。
お店を閉める時に、最後の給料を頂きに新木場にあるマンションに伺ったが(別宅だったのだろう。)
「これ利休の茶碗なんだよ。」と千利休の茶碗を触らせていただいた。


初代若乃花・花田勝治さんは、このお店のチーママのお客様だった。
チーママは、韓国で昔有名な民謡歌手をしていた女性、
その妹がカヤグム(朝鮮琴)の演奏家で花田さんと深い関係にあり、
そういうよしみでこのお店によくいらっしゃっていた。
(数年前に花田さんの隠し子の方の本が出たが、その方がこの女性と花田さんとの息子さんだったわけだね。)

両国国技館がちょうど完成する頃で、
この頃、花田さんは相撲協会の理事長になられたと記憶している。

花田さんは、当時のテレビでお見かけしていたまんまのかたで、
昨日今日のニュースで語られているまんまのかた。
いらっしゃると、一曲だけ歌を歌われるのだが、
それが楽譜の見当たらない曲で、僕は伴奏するのに苦労した。

「ジンギスカンの唄」(♪ジン・ジン・ジンギスカン♪じゃないよ-念のため)という曲で、
僕がギターを持って座っているすぐそばに、
椅子を持ってきてお座りになり、座ったまま歌いだす。
(力士としては小兵だったそうだが、お相撲さんだからやっぱり大きくて厚みがあって威圧感があるんだよ)
僕はなんとか、コードをさぐりながら歌についていってギターで伴奏をした。

周りの方のお話だと、花田さんは井上靖「蒼き狼」の愛読者で、
自分の姿を「蒼き狼=ジンギスカンになぞられていたのだろうと思う。

けっしてお上手な歌ではなかったが、あの枯れた声で、詩吟のように語るように歌う歌には
風格があった。
他のお客様たちがアンコールをしても、答えず愛嬌を振りまく用なことはいっさいせず、いつもその一曲だけで、
歌い終わると毎回、チップを一万円いただいたっけなあ。ダンディな方だった。

いまだにあの「ジンギスカンの唄」というのは、楽譜や音源が見つからない。
ご存知のかたは教えてください。

—————————————————————-
付記-2011年1月17日

2002~2003年頃に、当時講談社の内田派だった方と何度か電話でお話をしたが、
実績から言っても、実力から言っても、人望から言っても、
一度は講談社社長の椅子に内田さんが座るのは当然だったろうに、
なれなかったのは、韓国女性にお店をやらせていたことがマイナスになったからだということを、
おっしゃっていた。
その話に、すごく納得した。

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