早乙女愛が亡くなった。同世代で活躍した人が亡くなるのは、
知り合いを亡くしたような気持ちになって寂しい。
安らかにお休みください。R.I.P.
早乙女愛といえば、僕らの世代にとっては、なんといっても「愛と誠」だ。
「愛と誠」は、僕らの学年でいうと中学生の終わり頃に少年マガジンで連載が始まり、
漫画も映画もテレビドラマもすべてがリアルタイム同時進行で、
主人公の「愛」も「誠」も同じ高校生、主役を演じた早乙女愛(役名がそのまま芸名になった)も高校生、
という完全に実年齢とシンクロしていた作品だった。
原作者の梶原一騎はこの作品の頃が、人生の絶頂期だったと思う。
梶原一騎特有のマッチョイズム(野蛮さ、勇敢さ、好戦性への強い志向性)と、
愚直な男主人公と母性にあふれた美しい女主人公との純愛及びセンチメンタリズムというモチーフは、
この作品でも顕著に現れている。
今の若い世代にとっては、こういう部分に受け入れがたいものがあるかもしれないが、僕らの世代は夢中だった。
(あなたのご両親が今アラウンド50ぐらいの年齢で、あなたの名前が「愛」か「誠」なら、
あなたのご両親はこの漫画のファンだったかもね。)
また、梶原一騎のそれまでの作品とは違い、女性好みの美男美女を緻密にかつ巧みに描ける
絵師ながやす巧をパートナーに得たことで、
まだ少女漫画と少年漫画と、はっきり購読層が分かれていたこの時代に
(ちょうどこの頃から萩尾望都や竹宮恵子という少女漫画の天才達が男性購読者層を徐々に獲得していくのだが)、
「愛と誠」は女性のハートをもがっちりつかみ、1970年代中期を代表する漫画となった。
(だいたい同じような時期に大ヒットしていた「ベルばら」は、ほとんど女性ファンの購読層だったよね。)
全国津々浦々の高校や中学に、
「うちの学校の早乙女愛」がいて、
(そういえば僕らの高校にもいたような・・早乙女愛のお姫様カットの髪型が流行していたな。)
秀才ストーカーキャラの「うちの学校の岩清水(君のためなら死ねる)ヒロシ」がいた。
(僕の友人が、本名ヒロシでメガネをかけていたので、岩清水カンジと呼ばれていたのを思い出したよ。)
でも、「うちの学校の太賀誠」は、ほとんどいなかったような・・。
やっぱり特別なキャラクターだったんだろうなあ。
「誠」に憧れてマネした不良少年くんは、いたるところにいたのだろうけれど。
映画で共演した西城秀樹(この映画は彼にとっても初主演だったはず)が逝去に際して述べたように、
早乙女愛は「劇画からそのまま抜け出してきたような」美しい女性で、あまりにもイメージがぴったりで、
全国の男子高校生・中学生は漫画のキャラクターだった「愛」をそのまま彼女に投影し、恋焦がれた。
僕の中学時代の同級生だった男などは、原付でしかも草履履きで、
延岡から鹿児島県鹿屋までの片道200km以上の道程を彼女に会いに行き、
「応援していますので、がんばってください。」とひとこと言って握手してもらってきたそうな。
(彼女は、高校を卒業するまでは、故郷の鹿児島に住み、映画撮影などの仕事時だけ上京していた。)
その後、彼女はインタビューで、
「延岡からわざわざ原付で遠いところを、がんばってくださいって言いいに来てくださった同世代のファンのかたがいて、
励みになりました。」と語り、彼の努力は実った。
あの頃早乙女愛に恋焦がれた、全国の僕らの同級生たちは、今夜あの頃のことを想い出しているのだろうか・・・。
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