の続きです。東京にもどってくる前日夜にNHK教育で、「ハーバード白熱教室@東京大学」をやっていた。
たいへん面白い番組で、90分があっという間だった。
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マイケル・サンデル教授がコンダクターになって、問題を提示し
その問題についてAの立場からの意見を言わせ、
続いてそれについての対立的なBの立場からの意見を言わせ討論させる。
AとBの意見の一致を図るとか、問題に対する結論を導くようなことはいっさいせず、
それぞれの立場の主張の根拠や動機づけについて、さらに個々で論を深めさせてゆく。
その姿は現代に蘇ったソクラテスのようだ。
サンデル教授自身は、インタビューで、
「グローバル経済により、世界中で貧富の差が拡大し、さまざまな格差の問題が表出してきている現代において、
『正義・倫理』について語ることの意味・意義は、これからますます深まっていくだろう。」と語っているように、
リバタリアニズムから生まれ世界を席巻し、その後世界的な金融危機を引き起こしたグローバリズムに対して否定的で、
人道主義的共同体主義を志向している。僕は少しバートランド・ラッセルを連想した。
しかしながらサンデル教授は、講義の最中にはまったくそういう自分の意見を述べるようなことはしない。
あえて言うなら、問題のチョイス&セレクトの仕方に主張が見え隠れするのかな、という程度だ。
そしてこの問題の提示の仕方も興味深かった。
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特に興味深いと思ったのは、「日本の戦争加害者として責任を、戦争を知らない世代が、東アジア周辺諸国に謝罪し続けるべきなのか?」
という問題のすぐ後に「オバマは戦争時の日本への原爆投下について謝罪するべきなのか?」という問題を討論させたことだ。
この二つの問題を同時に語ることは、自家撞着に陥りやすく、たとえば「今を生きている人間は、それまでの歴史・伝統・文化の連続性の中にいる」
という理由で戦後生まれのオバマを日本に謝罪すべきだと考えるなら、同様に「今を生きている人間は、それまでの歴史・伝統・文化の連続性の中にいる」
という理由で、日本の戦後生まれ世代の戦争加害者責任をも考えなくてはいけないということになるわけだが、そこでしばしば矛盾が生じやすい。
こういうバランスのとれた問題の提示のしかたは、たとえ結論が出なくてAとBとのあいだの立場の違いがさらに明確になるだけだとしても、
A、Bそれぞれの理論を深化させてゆく。
そして重要なことは、さまざまな意見、それぞれの立場を否定せず、尊重しあうということだ。
共同体主義(コミュニタリアニズム)は、このような姿勢を維持できる限り「ファシズム」には陥らないのではないか。
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さて尖閣諸島問題だが、中国(もっとはっきり言えば中華思想的志向性をもった漢民族)十数億人の主張が一致しており、
すべてが「この金儲けのできるシマは俺たちのもの。日本人は敵。」というヤクザの論理で語っている現状は恐ろしい。
日本人は漢民族の十数分の一の人口しかいないが、それでも日本国内には中国の十倍以上のさまざまな論旨が、
この問題について語る時に存在している。
中国共産党が、情報操作を行い世論を誘導して、「日本」という「敵国」の存在を明確に据え、それにすべての中国人民のフラストレーションを集中させウルトラ化させ、人民に武力介入まで語らせるという行為は、まさにファシズムそのものではないか?
この事件について日本マスメディアは、「中国ファシズム」あるいは「中国共産党ファシズム」という文言をなぜ語らないのだろう。
僕は、長崎原爆の日に関するエントリーの注釈で、
少なくとも、「九条」「九条」って日本国内の安全なところだけでコメントを出している、
益川とかいう国際的にも発言力があると思われるノーベル賞爺さんなどは、そういうコメントをするなら
「アメリカ」「中国」などの有核好戦国で発言しなければ、何の影響力もないし全く意味も意義もないということを認識してほしいね。
という文を書いたが、今こそ日本マスメディアと益川さん達は中国に行って「九条」を訴えてくるべきなのではないか。
ファシズム(一党独裁による専制主義・国粋主義)こそが「九条」の敵ではないのか?
サンデル教授の「さまざまな対立意見をそれぞれ尊重しお互いに認める」という立場と、
現在の中国の「対立意見が存在せず、すべてが敵国日本に対する強硬派」という立場のあいだには、
埋めようもないほどの、深くて暗くてだだっ広い川がある。
そういうことを思い知らされた週末だった。
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